本日で、東日本大震災から10年が経ちました。
2011年3月11日2時46分
被災地の誰の心にもトラウマとして残っている時間だと思います。私もその一人で、あの大震災はずっと心にトラウマとして残っています。
福島では、私がブログでいじりネタとして扱っている「世界の福島」となった原因でもあります。
あの約6分間も大きく揺れ続けた地震は、絶対に忘れられないでしょう。
地震の規模はマグニチュード 9.0から9.1。
日本の観測史上最大規模で、世界規模では4番目に大きい地震でした。
また宮城県栗原市で最大震度7が観測されました。
長い間揺れ続けたその後、沿岸部には予測不能の巨大津波。
最大で40mの津波が押し寄せてきました。浜通りでは8~9m。
東日本大震災の殆どの被害者はこの巨大津波によるものです。
地震から約15分後から一気に東北沿岸部を次々と飲み込んでいきました。
当時、NHKの予想津波警報では3mと流していたのも覚えています。それほどに予測がつかない巨大津波だったのです。
その日の夜から朝にかけて、沿岸部には津波によって流された大量の遺体が発見されました。
そして、その津波と大地震によって更なる被害が。
3月12日15時40分、福島第一原子力発電所1号機水素爆発。
この時はちょうど家で流れてた原発の放送を見ていました。その瞬間なにがなんだか分かりませんでした。とにかく家の窓を全部閉めたのを覚えています。
3月14日11時1分、福島第一原子力発電所3号機水素爆発。
3月15日6時14分、福島第一原子力発電所2号機、衝撃音。
3月15日6時14分、福島第一原子力発電所4号機水素爆発。
「放射線=死」のイメージだった当時は、絶望でしたね。チェルノブイリの事故を思い出して、ただただ報道を見守るだけでした。
タイムライン福島第一原発事故 #あの日あなたは|NHKニュース
この3つの被害が壊滅的な震災へと変貌を遂げたのです。
こうして10年目を福島で迎えて、これまでの間にたくさんの支援があり、急速に復興を遂げているのもたしかです。しかし、帰宅困難地域に住んでいた方々は未だに避難を強いられている状況です。
テレビなどでは震災時の状況をたくさん報道していますが、当事者はその何倍も恐怖を感じていた、又は今でも感じていることを知っていただきたいと思います。また、「もしも大地震が起きたら」というような番組もやっていますが、はっきりってあの規模の地震は誰もがパニックになると思います。冷静になんていられません。かといって、経験なんてするものでもありません。
あの大震災から得られた防災関連情報や、その後の過ごし方などの教訓は必ず活きてくるので、知識としても頭の片隅に入れておくべきでしょう。
東日本大震災。
「彼」が残した爪痕は、未だに私たちの見えない未来に暗い影を落としています。心の奥にはいつでもあの時の記憶が残っています。厭な記憶です。トラウマです。
ですが、いつまでも暗い気持ちでいるわけにもいきません。
今日、2021年3月11日18時30分にたくさんの追悼の花火が上がりました。
私が住んでいるところからは、少なくとも4か所から上がっているのを確認。
自然と涙が零れ、上を向いて明るく生きていかなければなと強く思いました。
笑顔。
気持ちを誤魔化す為じゃなく、みんなで明るく生きていく為にも必要です。
また明日から新しい1日が始まります。
明るい未来を目指して、一歩ずつ進んでいきましょう。
苦の中に光ありです。
それではまた!